2002年の会話
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「普段から真言を唱える習慣の無い人たちには、理解できなかったようですが…。
唱え初めて一週間、さすが尊天様、その効果は絶大とお伝えしましょう。
願いの50%は、一週間で達成されました。
喉が潰れるほどの声は出す必要なく、自分にしか聞こえない位の声で結構。
あとは数取りの為、数珠と座布があればよい。
どこでも出来ます。
やりだして1週間、結構速くなり千回10分で出来るようになりました」
「集中力という点でどうですか?
私はどうあっても1000回が限界です。
それ以上だと『ああ、つらいな』と感じてしまい『早く終わりたいと思っている自分は天尊に対して不敬だ』ということに気付きました。
で、通常は300回程度を丁寧に唱えるようにしてます。
それくらいが天尊との会話を楽しむ感覚でできるから。
集中力のある人は、1万回でもOKだと思いますが、うらやましいです」
「1万遍と区切って読誦する方が宜しいとは存じますが、わたしの場合は、数珠で繰ったり種字等を念じたりと他の事と3種以上同時にすると心散漫になりやすいので、身内が危篤などの切迫詰まった場合などは、身内の症状が落ち着いて来るまで。
それ以外、命に関わらなくて切迫した時は、1時間だったら1時間ぶっ通しで、ただ神棚の天尊のお札に向かい、真言を読誦し同時に願文を念じて一心不乱にして、難を乗り越えた事が何度も有ります。
集中出来る時は、速攻で成就しました。
ちょっとでも『この願文はだめでは?』と思ってしまうと成就しにくいですね。
物質を直接得る事より、対人などを通じての何かの事を得る事の願いのほうが叶えられやすいと今までを通じ感じました。
たとえば、面接や金策、人間関係など」
「ところで、観想について…。
自分もイマイチ何をイメージングすべきか迷う所があります。
抱き合っている象頭男女の姿?
梵字?(ギャクか?それとも二つ並んでいるギャクギャクか?)
天堂(注:生駒聖天宝山寺の聖天堂のことか?)のうっそうと暗いオレンジ色に鈍く輝いている厨子の様子?」
「御影鏡凝視、
厨子凝視、
舎利凝視。
そこに種字『逆・逆』を観想する」